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2017.04.13(木) 自作「日本侠客史・上州国定忠治」を作る☆
高専時代、文化祭に自主制作アニメや映画を上映した。
人生初の自作アニメは高専二年生の頃だった。記念すべき話なのではあるが、そっちの話は今回は置いといて…、その翌年、国定忠治を題材に実写をとることになる。
そのときのコトを大地丙太郎webのコンテンツ「やっぱり私の人生ギャグだった」に書いている。
以下抜粋。
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  念願の実写作品を目論んでいた。題材は我が郷土の英雄「国定忠治」。
だが、時代劇はホントに金がかかる。当時伝手でTBS衣装部からタダで忠治の衣装を借りたんだけど、それ一着だけだった。貧乏な学生さんにゃそれが精一杯。しかも役者がいない。一人カタブツ君な役者志望のクラスメイトを忠治に仕立てて、あこがれの時代劇カットは撮ったんだけど、作品自体は「国定忠治」の史跡を追うという当時のNHK「日本史探訪」風にまとめた堅い作品にした。忠治カットはその挿入イメージカットにした。
「日本侠客史・上州国定忠治」。なんちゅうタイトルじゃ。
「国定忠治」は講談上では「英雄」とされているが、実はバリバリ「やくざ」だったという内容。
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全文はこちら。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~akitaroh/watagag/wg.html

18歳の俺は、この時、実際の国定忠治の史跡を辿って、英雄・国定忠治を讃えるつもりだった。
金がないから、群馬県の赤城山とか両毛線の国定駅あたりを初取材をしながら8ミリカメラを回していくのでガチもガチ。フィルムだよ。
しかも体系的に制作してない。やり方も知らなかったし、何処に取材に行ったらいいかもわからなかった。ネットももちろんないし、そんな下調べもしてない。行き当たりばったり。カメラだって借り物だし、群馬に7人くらいのスタッフで行って安宿に泊まって、金がなくなったやつは東京に帰る。最後は小野寺と川口と三人で赤城山の3畳のバンガローを借りて寝た記憶も…。いや、そんな撮影の苦労話も今回は置いといて…。
それでも赤城山山頂から(何もなかった)裏手の道を下って(しかもがたがたの山道を150ccだかのバイク二人乗りで2台で)忠治温泉とやらを目指す。名前だけでただの旅館一軒だった(かな?後に大地会を何度かやった)。大胡を経て国定に行き…ここは墓があったから大収穫。そして伊勢崎小学校だったかに保管されていたその頃見つかったという忠治の鉄砲を見せてもらった。これは寸前にNHKの番組で知って、親父の同級生が教頭か校長をやっていたので伝手で見せてもらえた。めっちゃ貴重なものであったが、特にそれが何だってこともなく…であった。 
しかし、ここで、我らは大変な事実と向き合うことになる。
赤城山に立て籠もった忠治一家の子分の中に板割の浅太郎というのがいた。
その浅太郎の叔父が目明しなのだ。名は御室(三室)の勘助。この勘助は本来忠治に肩入れをしているのだが、お役目上おおっぴらに忠治の味方はできない。そこで、捕物の最中に「裏手が手薄だ。裏に回れ」と仲間に知らせると見せかけて忠治に逃げ道を教えるのだが、それを忠治が勘違いする。
そしてそのことを子分のひとりが浅太郎に告げてしまう。苦にした浅太郎は忠治に勘助の首を差し出すために勘助の家に行く。だが叔父貴は斬れない。
ためらっていると察した勘助は自らの命を絶ち、浅太郎に「息子の勘太郎を頼む。俺の首を親分に持って行って身の証しを立てろ。そして、生涯親分の良き後ろ盾となれ」おっとあまりにもエグいので少し創作も入った…と、言う。
浅太郎は勘太郎を背負い、勘助の首を下げて戻る。
忠治は勘助の首を前に涙を流す。そして一家離散を決意するのだ。
と、まあ、コレが講談辺りの「名月赤城山」のあらすじ。ここから昨日書いたあの名文句に繋がるのだ。
多少の納得の行きにくい所も、この現在では俺にもあることはある。あとはこのお芝居をどう情感を持って演じるかにかかってくる。
のだが、俺たち取材ロケ隊は、この御室の勘助をバックアップする人物と場所に出会う。
それは(記憶うろ覚えだが)御室村の勘助会館。そしてそこの館長さんであった。
そこで撮った写真だけが一枚ある。

18歳の俺だ。
この会館には勘助を中心とした資料がわんさかとあった。
そこで館長さまにお聞きした衝撃の事実は、勘助の墓に行って判明した。
勘助の墓は勘太郎と並んであった。
そして、ふたりの命日は同じなのだ。
つまり…、浅太郎は…もしかしたら忠治自身だったかもしれないが…勘助を斬りに行った日に幼い勘太郎の命までも奪ってしまっていたのだ。
コレには俺もくらくら来た。
やはり、やつらはただの人殺し。ただのやくざ…だったのかと…。
失意の俺はこの映画の締めくくりのナレーションにこんな感じのことを言わせた。
「講談・映画のヒーローは、典型的なやくざであった。だが、それでも、私たちは、義俠・国定忠治を信じたいものである…」
18歳の俺がこんなことを書いていた。
コレが言いたかった事です。
長くなってしまった。
この最後のナレーションが43年後の今に繋がって来ることになった。
それはまた、次回に。
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